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『鳴神・俊寛』と申しましても、今回は歌舞伎の劇評ではありません。
この両タイトルは歌舞伎の演目をベースにした、日本の近代音楽の「オペラ」であります。
ところは新国立劇場のオペラ劇場(大劇場)、演出は市川團十郎、「鳴神」と「俊寛」は別々の作曲家による別々の作品、オペラには珍しく二本立てでの上演でした。
今回評するにあたって、私自身心掛けたい一つのことは「できるだけ、オペラと歌舞伎の比較論にならないようにする」 ということです。
歌舞伎に比べてどうのこうのと言い出してしまうと、 相違点の列挙に終始してしまう恐れがありますので(もちろん、歌舞伎との比較を完全に禁ずる訳にはゆきませんが)、「オペラ」と「歌舞伎」の比較ではなく、意識的に、今回の『鳴神』と『俊寛』それぞれの作品を比較することによって、音楽、演出、文学的観点の三点においてこの二作品がどのようなものであったか、「歌舞伎」という原典の堅固なフィルターをなるべく通さずして、その輪郭を私なりに描き出せればと思っています。
評に入る前に、老婆心ながら両タイトルの簡単なあらすじをば−
「鳴神」は、 朝廷に意趣あって龍神を滝壺に封印した(龍神は水の神なので雨が降らなくなってしまう)法力者鳴神上人と美女・雲の絶間姫の物語です。
龍神を封じた滝の前に庵を結ぶ鳴神上人の前に素性を隠して現れた雲の絶間姫は、実は上人を籠絡して法力を破るために朝廷から遣わされた女官です。
姫は堅物の上人をあの手この手で徐々に惹き付け、まんまと封印の七五三縄を切って龍神を解放し、嬉々としてその場を後にします。酔いから醒めて事の次第に気づいた上人は鳴神(雷神)となって、怒りの荒舞を演じて幕−となります。
「俊寛」は平家打倒の陰謀が露見し、丹波少将成経、平判官入道康頼と共に鬼界島に遠流された僧・俊寛の話。
公卿二人は遠流の絶望に弱々しく日々を送っていますが、剛毅な僧・俊寛だけは強がって、帰朝の希望を胸に秘めて自らの生命を支えています。
月日が流れ、特赦の使者が到着します。吉報に大喜びする三人ですが、実は俊寛だけが赦免に漏れており、同輩二人が都に戻る希望の船を俊寛ただ一人、孤島から海に手を差し伸べて侘しく見送ります。
(これは「取り残される者の寂寥と孤独」という唯一事だけをテーマとした物語だと私は思います。詳しくは評の後半で)
さて、 まずはこの二作の音楽について、です。
「鳴神(作曲:間宮芳生)」「俊寛(作曲:清水脩)」はそれぞれ1974年、1964年にNHKの委嘱によってテレビオペラ、ラジオオペラとして制作された作品のようです。
放送するメディア媒体ありきの作品ですので、両作とも上演時間は55分、一時間枠に収まるようにコンパクトにまとめられています。
コンパクト−と言っても、ボリュームとしては丁度よい加減な印象です。
作曲年代からも察せられるごとく、 両作とも音楽の傾向としては「現代音楽」と呼んでも差し支えなかろう匂いのするもので、「鳴神」は木琴や鉦を多用した、どちらかというとライトな印象の、シュトラウスの「サロメ」「エレクトラ」に似た雰囲気の音楽、「俊寛」は不協和音(この用語を正確に使用している確信がありませんので、あくまでイメージとして)を幾重にも重ねてくる、重層でドラマチックな、ベルクの「グォツエック」に似た雰囲気の音楽でした。
両作品とも日本古来の節を取り入れるような手法は使っていませんでしたが、作曲法として、「鳴神」は日本の歌舞伎をベースにしているという事を強く意識し、木琴の拍子木的な用法や囃子方の「イョォーッ」というかけ声によって、オペラであるという大前提ながらも歌舞伎の雰囲気を喚起するような音楽であったように思われます。
「俊寛」は物語が「俊寛」であるだけで、原典が歌舞伎であるという事を排し、「これは歌舞伎じゃなくてオペラです!」ということを強く主張しているかのような、実にオペラ的な音楽であったように聴こえました(それが恣意的なものかどうか、私には量りかねますが)。
その音の毛色に合わせてなのか、演出も「鳴神」が歌舞伎のオペラ化、「俊寛」が「新作オペラ」とでもいえるような、所作、舞台装置、効果がれぞれに使われていました。
「鳴神」のセットは七五三縄の張られた滝、岩場、上人の庵と、歌舞伎のセットとほぼ同じものですが、それらの配置や角度が歌舞伎の場合よりもより立体的に見えるように「オペラ的」に置かれて、歌舞伎の二次元的な美(絵画的な美・静の美)を三次元的に表現する事によって、この作品の全体像を巧みにオペラに変換する事が出来ていたと思います。
さすがに團十郎の演出だけあって、七五三縄切りに岩場を上る雲の絶間姫の所作、鳴神の荒舞いなど、要所要所に歌舞伎的な動きや見せ場も巧みに採り入れられており、その「歌舞伎的」な芸としての面白さと(オペラ歌手によくあれだけの動きが出来たと感心します)、大掛かりな舞台装置の移動や照明の映写による龍の昇天の表現など、普段歌舞伎では絶対に見られないようなダイナミックな効果とが互いに引き立て合い、「歌舞伎をオペラ化したものを観に来た」という充足感を得るに充分なものでした。
一方「俊寛」は、舞台装置としては平面的な海と空の書き割り、島の岩場と、表面的にはより一層「歌舞伎的」なのですが、演じ手の動作、装置の動かし方(横方向に舞台をスライドさせて場面を転換する)に歌舞伎臭がほとんどせず、全体的な雰囲気として、やはり「歌舞伎とは別物の新作オペラ」とでも言えるような印象を得ました。
そもそも音楽的にバタ臭い「俊寛」だったので、それはそれと割り切って考えれば、 とりたてて「歌舞伎的」である演出にこだわる必要もありますまいし、また、
より遡って考えるならば歌舞伎の「俊寛」も、終幕、岩山の上で一人海に手を差し伸べて『取り残される者の寂寥と孤独』 を表現する役者の演技力を観るだけ、それ以外取り立てて見どころのない演目ですので(私見)、このオペラに関してもそれ以上のものを求めるのはそもそも酷な事のようにも思われます。
最後に文学的観点からこの二作について考えるにあたって、まずは、この二作を二本立てにした構成を賞賛したいと思います。
「鳴神」「俊寛」共に僧が主役、タイトルロールとなった作品で、その意味では共通項を持ち、均整のとれた構成のように思われます。「演劇」「音楽」というレベルで感受するならば、「鳴神」は自らを律する事に厳しい気取った上人が煩悩に破れるという破戒譚、「俊寛」は人生を礼賛する革命僧の悲劇譚、そんな風に感じられて然りでありましょう。
しかし、です。
オペラにおける「文学的観点」という視点からこの二作品の対比を注意深く考えた場合、 この二作の対比は互いに互いを照らしながら、絡み合うようにして一つのテーゼへと帰着するように私には考えられます。
まず、俊寛という男、この僧は「おごれる平家」を打倒するため陰謀を巡らし、それの露見のため舞台に登場する男であります。
吉川英治氏は「新平家物語」において俊寛を『平家はおごっていたかもしれないが、とりわけ悪政をしいていた訳ではない。自らの立場、私欲のためその平家の転覆を企んだ俊寛は、陰謀によって起こる戦の悲惨、悲劇を顧みない大悪僧である』というように解釈していたように私は記憶しています。
その解釈は私も多いに賛同するところで、その解釈が私をしてこの「俊寛」という演目に関して冷淡ならしめるところでもあるのですが、この一つの歴史的解釈は、『清盛に不条理に冷遇され、残酷にも一人島に取残される』という風に俊寛寄りに大きく傾いていた物語の「善玉」の大義を、よりフェアな視点に引き戻してくれます。
(俊寛が主人公の物語ですので、俊寛寄りの視点で楽しむだけでももちろん良いのですが、 それだけではこの物語は「文学的」に成立し得ない部分があると私は思います。−何故俊寛が自らの欲望や感情に正直な豪放な僧侶として描かれているのか、何故俊寛一人島に残される結果となったのか、そういった物語の要素が、俊寛側からの視点のみで見た場合、一切の必然性も整合性も与えられぬまま終了してしまうのです)
そういった視点をも持ち合わせてこの「俊寛」の終幕を観るならば、そこにはただの寂寥、ただの孤独のみならず、僧侶ながらも我欲に身を滅ぼし、仏道など悟るべくもなく一人苦しみ続ける一人の人間の真の姿が見えましょう。
鳴神上人もまた、法力を極めた高僧でありながら、雲の絶間姫の色香に破れ、酒に酔って生命を礼賛し、騙されたと気づくやあたり構わず怒りを振りまくという生々しい姿を見せます。
つまりはこの二つの作品は、華やかなる破戒譚とヒロイックな悲劇譚というだけでなく、僧でありながらもその根底に「必ずある」人間の感情、欲望、悲しみ、そういったものを情動的なオペラという手段で共に表現しているのではないでしょうか−
…というのは、いささかうがち過ぎた視点でありましょうや?
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